史跡中山道「長久保宿旧本陣」追加指定について

公開日 2021年12月17日

最終更新日 2021年12月17日

史跡中山道の追加指定 「長久保宿旧本陣 」 について
 

-歴史が息づく峠と宿場の町“長和”の街道文化の継承をめざして-(※)

 

令和3年12月17日(金)に開催の文化審議会文化財分科会の審議・議決を経まして、当町長久保に所在する長久保宿旧本陣が史跡中山道に追加指定されることになりました。


当町では旧和田村において、昭和62年に和田峠古峠から男女倉口までの4,7kmの峠道と和田峠中腹にある通称、接待の永代人馬施行所が、国史跡中山道として指定され、さらに、平成3年には唐沢周辺と和田宿周辺、青原周辺の計3.5kmの中山道とともに、和田宿本陣主屋、歴史の道資料館かわちや、唐沢一里塚が追加指定されています。


今回、追加指定される中山道長久保宿旧本陣は、17世紀後半の建築とされる本陣座敷棟(石合家住宅)のほか、当時の遺構等が残る本陣主屋跡や問屋場跡の敷地全体が指定対象地です。

今回追加指定面積2,969.10 ㎡      指定地合計面積 23,361.51 ㎡
 

写真

 

※このサブタイトルは、「中山道保存管理計画書」のサブタイトルでもあり、

当町の史跡中山道の保存・整備・活用事業計画における指標(スローガン)です。

 


参考

1 史跡中山道の概要


中山道は江戸時代の五街道の一つで、江戸日本橋から板橋宿を経て武州路・上州路を通り、碓氷峠(標高1,180m)を越えて信濃路に入り、信濃26宿を経て美濃路・近江路を通り、草津宿で東海道に合流する。
長和町では、中山道が北東方向から南西方向に町を貫いており、2つの峠と2つの宿場を抱えている。和田宿と下諏訪宿の間にある和田峠は中山道随一の高峻(標高1,600m)であり、芦田宿と長久保宿の間には笠取峠(標高887m)が位置している。この2つの峠の間に和田宿、長久保宿が置かれた。また、長和町内には、中山道のほか大門道(甲州道)、上田道など重要な役割を果たす脇街道も存在した。現在の中山道の道筋は、往時の姿をとどめている部分がある一方で、一部は国道142号として長和町の重要な交通路となっている。旧和田村では昭和53~59年度に行われた「歴史の道保存整備事業」により、和田古峠~男女倉口、唐沢地区、和田宿周辺は道筋の整備、案内板等の設置、歴史的建造物の復元がなされ、現代でも往時を偲び歩くことができるようになり、多くの愛好者が訪れている。
昭和62年10月、和田村と南木曽町が「歴史の道」として整備した中山道が国史跡に指定され、そのうち和田村分では、和田峠古峠から男女倉口までの4.7kmの峠道と永代人馬施行所が指定地となった。さらに、平成3年5月には、旧状をよくとどめている唐沢周辺と和田宿周辺、村境の青原周辺の計3.5kmの中山道とともに、復元整備工事が行なわれた和田宿本陣主屋と歴史の道資料館かわちや、対で現存する唐沢一里塚が国史跡に追加指定されている。

 

2 史跡中山道の保存と活用


平成17年10月、長門町と和田村が合併して長和町となるが、この時期、史跡中山道の指定地である和田地区(旧和田村)では、歴史の道保存整備事業から年月が経ち、建造物や案内板、道標等の腐朽劣化が各所で深刻化し、周辺環境も変化するなかで、どのように対処していくべきかが課題となっていた。一方で、史跡未指定地でありながらも和田宿と同様に、往時の佇まいが残る長久保宿においては、中山道の道筋と町並みの保存活用は急務となっていた。
そして、中山道及び和田宿長久保宿の歴史資産を次世代に確実に継承していくために、平成25、26年度文化財補助事業により、歴史学、古文書、建造物等の各分野の専門家や地元の諸団体代表からなる委員会を組織して、“(一)中山道の道筋の継承 (二)宿場の町並み保全 (三)史跡中山道の円滑な維持管理 (四)地域との協働”という4つの基本方針による「中山道保存管理計画」を策定している。現在、保存活用計画を推進するにあたり、その前提となる長久保宿周辺の中山道と建造物等の歴史遺産の史跡追加指定に向けて手続きを進めている。

 

3 長久保宿旧本陣の概要


石合家は、長久保宿創設当時から江戸時代を通じて本陣・問屋を勤め、四代目当主石合十蔵のもとには
大坂の陣で名を馳せた真田信繁(幸村)の長女が嫁いでいる。
大名や公家等の賓客が利用した「御殿」と呼ばれる座敷棟と幕末頃の構築と推定される表門が現存している。
御殿は、上段之間、二之間、三之間、御小姓部屋、台子之間、入側(畳廊下)が残り、腰高障子や欄間、書院造り等の格調高い内装は、本陣御殿の姿をよく伝えている。
構築年代は明らかではないが、寛延二年(1749)の絵図面に現状と同じ間取りが記載されていることや、細部意匠の様式から十七世紀後半と推定される。中山道中では現存する最古の本陣遺構であるといわれ、貴重である。
また、石合家には江戸時代初期からの古文書や、高札等の史資料が数多く残されており、これらは、昭和53年12月1日に旧長門町の文化財に指定されている。

 

 

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